人生の移り変わり(2014年8月23日改訂)

 2001年4月まで 発病するまで
 九州で生まれ育ったものの、就職をきっかけに関東に出てきてまいりました。 管理的な職業であったため人間関係を中心に仕事が全然うまくいかなくて人生に疲れが出だし、 これが年を重ねるごとに悪化してしまいました。 これを象徴するかのように広島、札幌に転勤しながらやっておりました。 内向的な私の性格とは正反対の仕事ばかりでしたから。

 2001年5月 発病・入院・退職
 仕事がうまくいかなくなってとうとう行き詰まりを感じてしまい 上司に辞意を表明してしまいました。これが正面向かってではなく、 なんとなくワープロに打ち込んでおいた文書を発見されてしまったものです。 この後精神科に通院するようになります。ちなみにこのときの勤務地は茨城県でした。

 この後、とんでもない行動により1か月半入院し、帰郷休暇もあったが、 帰郷はとてもじゃないが療養環境ではないと判断し、関東地方に生活拠点を 残したまま退職。

 2001年12月下旬〜2003年2月 無職時代1
 退職時は完全に人生疲労困憊状態に なってしまっておりました。その後、千葉県内に引越ししました。 知り合いが少ない環境を作りたかったです。医者は実家に帰ることを勧めたのですが、 実家にはたくさんのトラウマ(親類関係と昔の友人関係) や実家での休職を思い出すと精神的に耐えられないと思ったため、かたくなに断りました。 そして、今までの人間関係もすべて断ち切るかのように半引きこもり状態で 精神科に通院しながらの一人暮らしとなりました。
 ひたすら世間と隔離されたような引きこもり生活を続けておりました。 初級シスアドやMOUSなどの好きな資格を取りはしたものの、ほとんど有益な 活動はしてなく、 貯金を切り崩しながら人との接触を避けたような生活をしておりました。 職安に行っても閲覧するだけでした。

 2003年3月〜8月 食品加工工場勤務(パート)
 食品加工会社にてパート従業員として働いておりましたが、 精神的にも落ち着くことはなく、経済的に安定していませんでしたが、 職場の雰囲気がよく休みの都合も合致していたのでストレスを感じることはありませんでした。 そのときに近くのクリニックに転院しました。

 2003年8月末 発作で倒れ入院
 けいれん発作で倒れて入院しました。 前日は会社の移転のため仕事が深夜にまで及びました。そのため、その日の朝に薬を飲んでから 一切の薬の服用を絶って、次の日の勤務に臨みました。正午過ぎの突然に出来事だったのです。 生死の境をさまようような状態で救急車搬送されて脳神経外科に 5日間入院しました。これによって 会社をクビになりました。
「必死になれば何でもできる」でもできなかった出来事でした。

 2003年9月 埼玉県草加市に引越し
 千葉県から埼玉県に引越しをしました。実情からすると8月から会社の近くに引越しする べく行動していたのですが、クビになってしまったため引越しに専念しておりました。

 2003年9月下旬
 通院医療費公費負担制度が適用される。

 2003年10月〜2004年2月上旬 無職時代2
 このあと、2002年よりグレードアップしたような引きこもりようになってしまい、 まさに目標もなく抜け殻のような生活をしておりました。 朝は朝寝、昼は昼寝(いずれも睡眠できず)、夜は眠剤を突っ込んで睡眠。 まさに3年寝たろう状態。 通院も精神科に2週間に1回、脳神経外科に4週間に1回と 忙しくなってしまいました。 そんなことで12月からは事務職に異様なまで固執して就職活動をしておりました。
 1月下旬からは本気で派遣登録を視野に入れることも考えていたのでした。

 2004年2月中旬〜2007年3月 会社事務員時代
 奇跡的に会社事務員として採用されました。しかも正社員で その日から健康保険と雇用保険が適用になったので本当に奇跡としか言いようがありません。
 何とか働いておりましたが、努力あえなく会社が解散してしまったため、2007年3月31日で退職。

 2005年5月 埼玉県さいたま市に引越し
 性懲りもなく1回目の退職から3回目の引越をしました。会社が引越するため、 それの前哨戦として引越ししました。同時引越ですとまた生死の境をさまよいそうなためです。

 2007年4月 無職時代3
 前回同様、事務に固執した求職活動をしていましたが、厳しい事情に完全に頓挫していました。

 2008年1月 倉庫での派遣社員時代
 9ヶ月間たってもなかなか仕事のあてがないことから仕方がなく、倉庫での派遣社員として勤務することにしました。最初はすごく忙しくて収入もそれなりに あったのですが、同年12月から100年に1回といわれる不況で仕事量が減り、苦しい生活を強いられているがなんとか生きている状態です。


 2011年3月〜 東日本大震災等の自然災害との戦い。
2011年は、東日本大震災とタイ洪水が勤務先の経営状態を圧迫していて、個人経済的にもかなり深刻な低所得が続いています。
しかしながら倉庫仕事は雨にぬれることが少なく、体調的にも平行線をたどりながらやっています。でもこの所得減ははっきり言って大打撃です。

 2012年8月 通院先の増加
 肛門付近から出血したために、外科(肛門科)の通院が追加され、3か所通院となる。この通院先が閉院になり、近隣の肛門科に切り替えたところ、 手術をすることになり、2013年5月15日に痔核切除手術(根治手術)を受け、療養中。入院代は、保険でカバーすることができそうだ。
 6月6日から病み上がりきれないうちに業務復帰、全く違うところに行っている。運動量は増大するも、食堂昼食のため減量できず。

 2013年7月 外部倉庫での激務
 さらに7月15日から、倉庫での12時間拘束勤務となり、過酷な環境に耐えながら生きている。この影響で同年9月には自動車追突事故、12月下旬には自損事故で長時間勤務の稼ぎを落としている。


 2014年5月 人生の危機に直結しかねない大怪我
 5月20日に左足の甲を骨折、人生初の松葉杖状態を味わうことになる。

 2014年7月 モータープールでの夜間守衛業務
 7月21日から、新車モータープールでの夜間守衛業務。通勤が多ければ稼ぎはいいけど、2時間かけて通勤している。力作業もないし、1日おきで出勤しているのであまり無理はない。近いところにこれがあればいいなぁと今は思っている。


 2015年3月 モータープールでの新車洗浄勤務
 3月15日から、新車モータープールでの新車洗浄に変更。稼ぎはそこそこでもそれ以上経費が掛かっていた。


 2015年10月 1週間の新車組み立て工場勤務
 10月5日から、1週間新車組み立て工場に勤務。クビにはなったもののひどい眠気による自動車事故のことを考えれば、これでよかったと考えている。


 2015年10月 食肉加工工場での製品仕分け作業
 10月14日から、全く違う、食肉加工工場での仕分け作業。昼の2時に仕事をはじめ、残業が最大3時まで続くが、今は2時に落ち着いていて、スポーツクラブ通いも順調である。ただ、守衛時代から続く自宅の不整備状態が悩みの種となっている。