裁判員の悲劇の最近のブログ記事

裁判員の悲劇6

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ある会社にて

A「Dは、裁判員に選ばれたらしいよ。」
B「ちょっと待てよ、この忙しい時になんて選ばれるんだよ。」
C「攻略本読んで研究しろとあれほど言われていたのになぁ。」
B「そういえば、Dの担当する事件、否認事件らしいからずいぶんかかるみたいだぞ」
A「そうだ、被告は黙秘ばっかりしているらしいよ。どうにかならないのかなぁ。」
B「いずれにせよ、不選任になる有効な方法をとらなかったDが悪いな。」
全員で「帰ってきたら懲らしめてやろうぜ!」

後日、この会社で傷害事件が発生し、3人が裁判員にお世話になったことは言うまでもない。

裁判員の悲劇第5回

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 Eさんは、引きこもりの息子を抱え、毎日悩む生活を送っていた。そんな矢先、息子が裁判員に選ばれた。事前調査票では引きこもりなので裁判員に選ばないでほしいと記述して提出したが無視された形だ。
 Eさん息子に説得を試みる一方、裁判所に「息子が裁判所に出廷する手助けをしてほしい」と懇願したが、「裁判所に出廷させるのは親の責任であり、裁判所にはそんな余裕はない。」と一蹴された。Eさんは引き続き引きこもり状態から脱するための試みをするが、残念ながら期待した成果は得られなかった。
 とうとう呼び出しの日がやってきた。最後と思って息子に説得するが、「10万円払えばいいんだろ」といって一向に出ようとしなかった。仕方がなく今回は10万円の科料としたわけであるが、Eさんはまたいつ呼び出し状が来るのかわからないという状況に怯えながら過ごしている。

裁判員の悲劇第4回

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 Dさんは、小さなパン屋さんで早朝4時からパンの製造を行っている。Dさんの腕によりパン屋さんの評判は非常によく、そこそこの売り上げをあげていた。
 そんなDさんは裁判員に選ばれた。6週間店長はDさん不在間の半閉店状態を予告して対策を取っていた。しかしながら裁判員任務が2週間に及んだことから、店の売り上げは右肩下がりになってしまった。顧客の信用を取り戻そうとしたが、すでに新たにオープンしたパン屋さんにお客さんを取られてしまってお手上げ状態になってしまった。
 結局、1年かけても赤字状態を解消できなかったことから、閉店を余儀なくされた。

裁判員の悲劇第3回

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 Cさんは、時給750円のバイトで1歳の子どを抱えての生計を立てている。親類にも協力者はだれ一人いない。そんなCさんが裁判員に選ばれた。
 Cさんの自宅は地方裁判所から離れているので、普段預けている保育園に預けることができず、日当より高い保育料を払って一時保育所に預けての裁判員任務となった。
 そのため、裁判員期間中はバイトだから当然会社から給料も出ないし、日当より高い保育料によって家計を圧迫されてしまった。5日間に及ぶ裁判員任務だったため、勤務先から解雇されてしまった。3日間過ぎても終わらなかったため新しい人を雇ったというのが理由という。
 なのでお金が底をついてしまったCさんは借金しながら生活することになった。新しい職場はほどなくして見つかったものの、当面の生活費のため50万円の借金を背負ってしまう。新しい職場での給料も見習い期間であったため時給680円しか出ず、返済もままならないため新たに10万円借金しなくてはならなくなった。
 1年後、借金は雪だるま式に増え、250万円になってしまった。どこからも支援を受けられないCさんは裁判員任務を恨みつつ、自己破産を申し立てることになった。

裁判員の悲劇第2回

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 Aさんは、もともと対人恐怖症で人見知りが激しい性格。基本的には無口である。
 そんな折裁判員に選ばれて出廷する。審議の段階で、BさんはAさんに対し、きつい口調で無口な態度を批判した。裁判官からも積極的に発言するよう注意を受ける。
 翌朝、Aさんは前日の審議がトラウマになってしまって出廷拒否した。しかしながら、このままでは裁判自体が成立しないため、警察によって裁判所に連行された。そして、その日も何も話さないまま、口がきけないまま過ごしていた。
 裁判所の判断により、公判終了まで拘置所からの出廷となった。公判自体は4日間で終了したが、Aさんはその日に所在不明となり、翌朝近所の公園で首をつって自殺したAさんが発見された。

裁判員の悲劇第1回

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 彼は、日常から6時半に出勤して23時に帰宅、休日も同じように仕事をしている。そんな彼が裁判員に選ばれた。会社で時間の手当てができずに裁判員の日を迎えた。この日は4時に出勤してとりあえず処理すべきものを済ませてから裁判所に出向く。
 18時、裁判員任務を終えると会社に向かいその日の業務に移行する。終わるのは翌朝4時。3時間会社で仮眠をとってまた裁判所へ。
 裁判員任務が始まってから5日たっても審理が終わらず、彼の疲労は極限に達していた。にもかかわらず、彼の代わりに仕事ができる社員がいないため同じような日々を過ごす。
 8日目の公判終了後、彼は裁判員席でぐったりしていた。意識が全然なく、救急車で近くの病院に搬送されたが、その日の19時に死亡が確認された。

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