2010年2月アーカイブ

究極の選択だったかも

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(読売オンラインより)
 群馬県高崎市で2009年7月、就寝中の妻(当時60歳)を暴行して死なせたとして、傷害致死罪に問われた同市柴崎町、無職斉藤高業(たかなり)被告(62)の裁判員裁判の判決が12日、前橋地裁であった。

 倉沢千巌裁判長は「飲酒して帰宅した際、妻が起きなかったことに腹を立てた動機は、自己中心的」として、法定刑の下限に当たる懲役3年(求刑・懲役5年)を言い渡した。

 量刑が争点となり、弁護側は、斉藤被告が末期がんを患い、余命は長くて2年と宣告されていることを明らかにし、「社会の中で命を終わらせてほしい」と、執行猶予付き判決を求めた。判決は「余命で刑の重さを変えることは公平でない」とした。

 判決後の記者会見で裁判員を務めた男性は、斉藤被告の余命をめぐり、「考慮すべきかどうか議論があったが、罪を犯したことに関係ない。皆で話し合った結果で、(判決に)納得している」と述べた。別の裁判員経験者の男性は「(検察、弁護側)両方の主張を平等に扱おうと意識した」と話した。


 余命2年の被告に獄中で生涯を終えるのか、娑婆で生涯を終えるのか、完全に裁判員に究極の選択を突きつけた裁判員裁判であるといえる。これに批判した人が出てきても裁判員が決めたものと裁判員に責任転嫁して俺関係ないと検察・裁判官はとって出てくるだろう。裁判員には重い守秘義務とともに本当にそれでよかったのかという自責の心境に眠れないことがあるかもしれない。

 先日の日弁連会長選挙では、はっきりいって都会派と地方派の取っ組み合いのようなものになっている。すなわち総数では都会派が勝っても単位会(各県の弁護士会)では地方派が圧倒的に勝っているという恐ろしい現象が起きている。いつか分からないが再投票になっているらしい。

 東京で勝っても神奈川・千葉・埼玉で負けているのだから分析のしようがない。裁判員制度を神にすがっても廃止してほしい心境だから、日弁連執行部の絶対的裁判員制度維持を崩す方向に行って欲しいものだ。

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